真野山高福寺について

真野山 高福寺
について

緑に包まれた 地域のオアシス

  緑に包まれた     

        地域のオアシス

高福寺は鎌倉時代末期から続く、
浄土真宗(真宗佛光寺派)

のお寺です。

心がホッとする静かな趣、
緑豊かな境内では、
街中にもかかわらず四季折々の
自然を感じられます。

だれでも境内に入って、
ホッとできる。
忙しい毎日に少しの時間、
ゆったりとした気分になれる。

そして仏さまのお慈悲にふれて、

心豊かに毎日を
送っていただけるように。
より多くの人の

心のよりどころとなり、
人と人をつなぐ、
地域に開かれたお寺で
ありたいと願っています。
お寺にご縁のない方でも、

どうぞお気軽にご来寺ください。

一歩足を踏み入れれば、
心が安らぎ、
自然と手があわさる、
仏さまのまします場所。

すべてのいのちを支えてくださる
「阿弥陀如来」さまは、
「なむあみだぶつ」

と手を合わせるあらゆる人をお守りくださっています。

高福寺は鎌倉時代末期から続く、浄土真宗(真宗佛光寺派)のお寺です。

心がホッとする静かな趣、緑豊かな境内では、
街中にもかかわらず四季折々の自然を感じられます。

だれでも境内に入って、ホッとできる。
忙しい毎日に少しの時間、ゆったりとした気分になれる。

そして仏さまのお慈悲にふれて、
心豊かに毎日を
送っていただけるように。より多くの人の心のよりどころとなり、
人と人をつなぐ、地域に開かれたお寺でありたいと願っています。
お寺にご縁のない方でも、
どうぞお気軽にご来寺ください。

一歩足を踏み入れれば、心が安らぎ、自然と手があわさる、仏さまのまします場所。

すべてのいのちを支えてくださる「阿弥陀如来」さまは、
「なむあみだぶつ」と手を合わせるあらゆる人をお守りくださっています。

〈本堂〉
宮大工、菅野守三氏制作。破風の反りの美しさが見事な本堂。

〈本堂〉
宮大工、菅野守三氏制作。

破風の反りの美しさが見事な本堂。

〈境内〉
昭和の小堀遠州と讃えられた造園家、中根金作氏作庭の「涅槃の庭」。
「九条武子女史の大ソテツ」や、巨大な松笠をつけるダイオウマツも名物の一つ。

日本庭園に囲まれた茶室「悠々亭」のほか、七カ所にお手前のできる炉があり、
季節に応じた趣向でお茶会も催される。

〈境内〉
昭和の小堀遠州と讃えられた造園家

中根金作氏作庭の「涅槃の庭」。
「九条武子女史の大ソテツ」や、

巨大な松笠をつける
ダイオウマツも名物の一つ。
日本庭園に囲まれた
茶室「悠々亭」のほか、
七カ所にお手前のできる炉があり、
季節に応じた趣向で
お茶会も催される。

〈宝物〉
・光明本尊(14世紀)・涅槃図(江戸時代)・襖絵「蓮」北井真生画伯。

〈宝物〉
・光明本尊(14世紀)
・涅槃図(江戸時代)
・襖絵「蓮」北井真生画伯

高福寺の歴史

真野の地に根ざして、700年

どんな時も、心のよりどころに

〈 高福寺の歴史 〉
鎌倉時代から室町時代にかわろうとしていた正慶2年(1333)、高福寺は創建されました。
そののち真野の里の中心寺院として、人々の心のよりどころとなってきました。


大正年間には十四間四面の本堂が建てられましたが、神戸大空襲で焼失。
その後、阪神大震災にも見舞われ、大きく被害を受けましたが、

人々の求めによって順次再建され、現在では、本堂、門徒会館、鐘楼、墓所、茶室、
日本庭園をそなえ、日本文化の継承はもちろん、ご法事やお葬式、
納骨まで承ることが可能なお寺となっています。

戦争・震災を経験したからこそ、私たちは身近な方を亡くす深い悲しみを
共にうけとめることを大切に考えています。
なき方を大切に思う気持ちをご一緒に守っていけるよう、勤めてまいりたいと願っています。

略歴

1333年  開創

1500年代 村内の寺院を高福寺が統括する。性全上人

1924年  十四代了然上人が寺基を整備

1945年  神戸大空襲で伽藍消失、十六代専精師が順次再興

1950年  講堂建立(阪神大震災で倒壊)

1967年  茶室「悠々亭」建立

1981年  門徒会館「自然堂」建立

1982年  本堂建立

1988年  鐘楼建立 

1995年  阪神大震災で被災

2003年  山門建立

高福寺の歴史

真野の地に根ざし 700年

どんな時も、
心のよりどころに

鎌倉時代から室町時代にかわろうとしていた正慶2年(1331)、
高福寺は創建されました。
そののち真野の里の中心寺院として、人々の心のよりどころとなってきました。

大正年間には十四間四面の本堂が
建てられましたが、

神戸大空襲で焼失。
その後、阪神大震災にも見舞われ、

大きく被害を受けましたが、
人々の求めによって順次再建され、
現在では、本堂、門徒会館、
鐘楼、墓所、茶室、
日本庭園をそなえ、
日本文化の継承はもちろん、
ご法事やお葬式、納骨まで承ることが可能なお寺となっています。

戦争・震災を経験したからこそ、
私たちは身近な方を亡くす深い悲しみを共にうけとめることを大切に考えています。
なき方を大切に思う気持ちを
ご一緒に守っていけるよう、
勤めてまいりたいと願ってい
ます。

略歴
1333年  開創

1500年代 村内の寺院を高福寺が

      統括する。性全上人

1924年  十四代了然上人が寺基
      を整備

1945年  神戸大空襲で伽藍
      消失、十六代専精師
      が順次再興

1950年  講堂建立
     (阪神大震災で倒壊)

1967年  茶室「悠々亭」建立

1981年  門徒会館「自然堂」
     建立

1982年  本堂建立

1988年  鐘楼建立 

1995年  阪神大震災で被災

2003年  山門建立

住職 ご挨拶

こんにちは、藤末光紹です。
高福寺は一度戦災で焼けてしまいましたが、多くの木を植え、神戸の街中ながら緑豊かなお寺になりました。広いお庭を活かして地域のレクリエーションへの活用や、子どもたちの遊び場となれたら嬉しいです。仏事だけでなく、地域の方が気軽に立ち寄れる憩いの場になれるよう、活動していきたいです。
1980年神戸市長田区生まれ。布教使。佛光寺派宗学院助講師。行信仏教文化研究所研究員。
学生時代は青少年活動に従事。2003年住職就任。宗派機関紙のイラストも手がける。
好きなものは映画とカメラ。

こんにちは、藤末光紹です。
高福寺は一度戦災で焼けてしまいましたが、多くの木を植え、神戸の街中ながら緑豊かなお寺になりました。広いお庭を活かして地域のレクリエーションへの活用や、子どもたちの遊び場となれたら嬉しいです。仏事だけでなく、地域の方が気軽に立ち寄れる憩いの場になれるよう、活動していきたいです。

1980年神戸市長田区生まれ。
布教使。佛光寺派宗学院助講師。行信仏教文化研究所研究員。
学生時代は青少年活動に従事。

2003年住職就任。
宗派機関紙のイラストも手がける。
好きなものは映画とカメラ。